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佐用姫縁の「赤水観音堂」

時は今から1480年前ほどの
新羅討伐のために 京の都より派兵されて
この松浦の地に滞在していた若き将軍「大伴狭手彦」は
地の長者の娘「佐用姫」と恋におちて
契りを交わしました
渡海の時が来て悲しい別れ
そして帰国を待つことなく 亡くなります

「以下は以前の記事から」
「大伴狭手彦は大和朝廷と盟友関係にあった
派兵先の百済で佐用姫が亡くなったことを知る

渡海して新羅討伐 10ヶ月後帰国しています
この時に 百済から「金剛仏」を持参して
亡き佐用姫を弔う「赤水観音堂」を建立し
金剛仏を安置した

赤水観音堂の始まりですが
いつしか
お堂は荒廃して金銅仏は 近くの恵日寺に移され今に至ります

赤水観音堂は船繋石の上の方の 
鏡山登山道の
大鳥居先の右手近くに存在します
入口の石段です

お堂には
狭手彦と佐用姫の位牌が
安置されてると云いますが・・??

日本への仏教の伝来が538年が有力視されています
帰国した狭手彦が
百済から仏教文化を伝えたのであろうか
松浦の地 現・唐津市が稲作発祥の地であり
日本への仏教伝来も最初の地と言われています
佐用姫伝説は事実・・そう思います
古のロマンを感じてやまない」


草木に被われて廃墟同然の由緒ある
佐用姫を祭った縁の「赤水観音堂」
周りを伐採して 知る人のブログから
その全容を目にしました
こちらから訪問してください→「虹の松原」の四季の癒し!

お堂も今や朽ちそうな感じです
駐車場が無いのが残念ですが
古の遺産と観光資源と共に
もっと整備されてほしいものです




by takasago1699 | 2019-04-19 12:05 | 散策 | Comments(0)