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(続)松浦佐用姫のこと

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山頂は 地平らにして池あり
標高284mの鏡山(領巾振山) 古今変わらぬ姿を 佐用姫も眺めたことでしょう


前記のとおり 
狭手彦と夫婦の契りを結んだ佐用姫
離別の時が来て 恋しさは募るばかり 
山頂の左端で 大伴狭手彦が率いる軍船を
狂わんばかりに 領巾(そで)を振って見送ったが
耐え切れずに 呼子の浦まで追って行きました



佐用姫=弟日姫子(おとひひめこ)の出生地は何所だったのだろうか
風土記によれば 
1 篠原村の長者の娘ー唐津市の厳木町が有力視されている
  他にも
2 浜玉町座主の殿原寺ー佐用姫にまつわる伝えがある
3 七山の芝原
4 佐用姫の祖は日下部(くさかべ)氏と云われ
  平成11年に鏡山山麓の南側を通る 西九州道の造成中に 
  日下部氏を記した木簡が出土した
  狭手彦の滞在の身の世話をしていた佐用姫
  場所的にも近いがーーはたして ?



大伴狭手彦は大和朝廷と盟友関係にあった
派兵先の百済で佐用姫が亡くなったことを知る

  
渡海して新羅討伐 10ヶ月後帰国しています
この時に 百済から「金剛仏」を持参して
亡き佐用姫を弔う「赤水観音堂」を建立し
金剛仏を安置した

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赤水観音堂の始まりですが
いつしか
お堂は荒廃して金銅仏は 近くの恵日寺に移され今に至ります

赤水観音堂は船繋石の上の方の 
鏡山登山道の
大鳥居先の右手近くに存在します
入口の石段です

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お堂には
狭手彦と佐用姫の位牌が
安置されてると云いますが・・??


日本への仏教の伝来が538年が有力視されています
帰国した狭手彦が
百済から仏教文化を伝えたのであろうか
松浦の地 現・唐津市が稲作発祥の地であり
日本への仏教伝来も最初の地と言われています
佐用姫伝説は事実・・そう思います
古のロマンを感じてやまない


by takasago1699 | 2018-01-24 13:30 | 散策 | Comments(0)