松浦佐用姫

b0131046_1132585.jpg 行く船を 振り留みかね 如何ばかり
悲しくありけむ 松浦佐用姫


今から千四百数十年前、朝廷の命を受けた、若き司令官大伴狭手彦は、任那・百済(現在の韓国の一部)を救援するために派遣されて、この地に留まり、出会った長者の娘、佐用姫と恋におちて契りを結んだ。
(派遣されたことは「日本書記」に史実として記載されているそうです)
別れにさいして
領布振山(現在の鏡山)の山頂から
袖を振り悲しむ佐用姫
それは、それは
絶世の美女だったとか。

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このころは
田畑も、松原も、町の姿もなく、一面が海だった。
更に遡ると、大陸からの玄関口で、対馬、壱岐を経て、呼子に上陸して末蘆国と呼ばれて、耶馬台国へ至る道筋だった。

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この鏡山の、丁度真下辺りに赤水と呼ばれる地名があります。
当時は、ここら当たりは海
船を繋いだ石が、残っています。
鏡山参道の入り口を左折し、すぐ右手、バイパスとの間の旧道です。



佐用姫が狭手彦を見送った後
泣き悲しみ、石になった・・・悲しみの喩えでしょう
1300年ほどの前の「肥前風土記」には無くて
室町期に、恋い慕うあまりに
このような表現になったようです。

恋焦がれて、病に伏せて
亡くなった説が真実をおびているようでは・・

船繋ぎ石の、直ぐ上の鏡山参道の入口に
大鳥居があります。
すぐ先の右手に、石段があり
ここに、帰国した狭手彦が
亡き佐用姫を弔うために、金剛観音菩薩堂を建立したそうです。
現在、菩薩像は、近くの恵日寺で秘宝として
保管されているそうです。

史実に基づく、事実の出来事と
ノスタルジーを感じいっていますが
個人的な見解です。



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by takasago1699 | 2016-10-29 18:50 | Comments(0)  

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