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末盧国(まつろこく)

帯方郡(韓国ソウル近辺)→狗耶韓国(韓国釜山近辺)→ 対馬国(対馬)→一大国(壱岐)→末盧国(唐津市)→伊都国(現在の糸島市)→奴国(福岡市)と3世紀の中国の史書魏志倭人伝に登場する倭国(日本)の古代の国30余国、奴国までの道筋は定説どおりだが、
女王卑弥呼の国、邪馬台国はどこか??
解釈の違いで候補地が80箇所を超すと言う。
大きくは九州説と畿内説に分かれ論争に終止符がつかない、永遠の謎かもね、

NHKのヒストリア、TV画面から
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史書に記載のとおりだと、
方角から九州を南下することになるが畿内説の方では方角を見間違ったとか?
諸説ありありで確たる物証が無い。
決定的に耶馬台国となれば経済効果は大変なものでしょう。
佐賀の吉野ヶ里遺跡も候補の一つ、
大規模な環濠集落、
ここかも知れないよ??
凄い規模ですよ。
               ↓ 吉野ヶ里遺跡
末盧国(まつろこく)_b0131046_1882616.jpg

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それにしても当時は唐津が大陸文化、交流の入口であった、
日本の稲作発祥の地、菜畑遺跡や久里双水古墳が
それを物語っているようです

今の「唐津」は
魏志倭人伝に記されての通り
3世紀の弥生時代には「末蘆国」として登場します

古事記 日本書記に記される
8世紀 神功皇后の朝鮮半島の新羅討伐時に
今の玉島川で魚を釣って占いをしたたそうです
それで釣れた魚を「鮎」と云う
魚編に占うがついて「鮎」となる

この魚を見た皇后は
あら「めずらしや」と云ったとか
そんなことから
この地を「めずらの国 →梅豆羅国」と呼び
そう呼ばれた時期もあった
これが訛って「松浦」と呼ぶようになったとか
ですが 
3世紀の「魏志倭人伝」の「末蘆」が登場しているので
末蘆が訛って松浦に
これが「松浦」の語源はではないでしょうか

唐津市と合併する前の周辺の町村は
近年まで東松浦郡に町村名が付いていました


3世紀ころの
稲作発祥の地「菜畑遺跡」や「久里双水古墳」の存在する地が「末蘆国」で
耶馬台国は何処に ?
ミステリーです
唐津と呼ばれるのは
ずっと後のことのようです。















by takasago1699 | 2011-10-27 19:12 | 日常 | Comments(0)