2016年 11月 08日
眠りに眠った・・・
「唐津おくんち」も終わり
ちょっと寂しいそうな
静かな佇まいの
城下町に戻りました。
曳山のある十四ヶ町では
来年の「おくんち」に向かって
すでに動きだしています。
疲れだったのだろうか
よく眠った32時間
その間、起きてたのは一時間か二時間?
食べるものも食べずに
「眠れる森の美女」でもあるまいし。
自分だけが胃の中を空っぽにして
風邪でもなし
食あたりかな~??
きっと、休養の指令だったのかも知れない。
今朝はスッキリ!
胃に優しい、お粥と目玉焼き
美味しさが身に浸みる
♪~♪ 頑張ぞ~
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2016年 11月 03日
唐津曳山三景
昨日も今日も
天気に恵まれた唐津おくんち
明日も、おくんち日和で終りそう
天気よくて、あちらこちら、追っかけてみました。
一休中の曳山二つ・・
笛、鐘、太鼓の囃子は止むことなく
調子よく響き渡り
掛け声一つで、列なして動き出す
楽しくて、楽しくて、疲れ知らず!
もう一日だよ!!
一番曳山の赤獅子(下)
これが造られて二百年、一台が無くなり十四台が
後世に受け継がれて、今に至る。
ユネスコ無形文化遺産
先取りの決定(大丈夫でしょう)
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2016年 11月 01日
明日の宵山から
明日の夜から、三日間
待ちに待ってた、この日がやって来る
一年に一度だけ、人も街も大騒ぎの「唐津くんち」
街中はごった返しの人、人、人で祭り一色
天気よさそう。
この唐津くんちの曳山が「ユネスコの無形文化遺産登録」の勧告を受けて
この12月には正式に決定される見通し・・・決定でしょう。
もうすぐ!
おめでとう!!
色白で目元ぱっちりの女の子
実は男の子・・孫ではないが孫みたい・・
「寝る子は育」つと云いますが
科学的に証明されているんです
寝てる間に成長ホルモンが分泌されて
骨や脳や身体が作られるって・・・
この子が
曳山を引くのには間があるが
法被姿を見れるのが楽しみだ!
この子の町内の曳山を曳けるのは男子のみ
良かったな、男に生まれて・・・
女の子の曳ける山もあるのに
長い歴史の掟なのか。
「お役立ち情報」
唐津くんち2016日程とスケジュール・曳山の見所とコースは
こちらから
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2016年 10月 29日
松浦佐用姫
悲しくありけむ 松浦佐用姫
今から千四百数十年前、朝廷の命を受けた、若き司令官大伴狭手彦は、任那・百済(現在の韓国の一部)を救援するために派遣されて、この地に留まり、出会った長者の娘、佐用姫と恋におちて契りを結んだ。
(派遣されたことは「日本書記」に史実として記載されているそうです)
別れにさいして
領布振山(現在の鏡山)の山頂から
袖を振り悲しむ佐用姫
それは、それは
絶世の美女だったとか。
このころは
田畑も、松原も、町の姿もなく、一面が海だった。
更に遡ると、大陸からの玄関口で、対馬、壱岐を経て、呼子に上陸して末蘆国と呼ばれて、耶馬台国へ至る道筋だった。
この鏡山の、丁度真下辺りに赤水と呼ばれる地名があります。
当時は、ここら当たりは海
船を繋いだ石が、残っています。
鏡山参道の入り口を左折し、すぐ右手、バイパスとの間の旧道です。
佐用姫が狭手彦を見送った後
泣き悲しみ、石になった・・・悲しみの喩えでしょう
1300年ほどの前の「肥前風土記」には無くて
室町期に、恋い慕うあまりに
このような表現になったようです。
恋焦がれて、病に伏せて
亡くなった説が真実をおびているようでは・・
船繋ぎ石の、直ぐ上の鏡山参道の入口に
大鳥居があります。
すぐ先の右手に、石段があり
ここに、帰国した狭手彦が
亡き佐用姫を弔うために、金剛観音菩薩堂を建立したそうです。
現在、菩薩像は、近くの恵日寺で秘宝として
保管されているそうです。
史実に基づく、事実の出来事と
ノスタルジーを感じいっていますが
個人的な見解です。
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2016年 10月 26日
秋日和の晴れやかさ
宴の雰囲気が身体に残る
昨年、夫を亡くした甥っ子の母親
式までに気苦労もあったろうが
無事に、何よりも、心温まる結婚式だったよ。
父親を亡くした長男、30歳
感じたことは、責任感、自身の価値観が
しっかりしてることに、一段と気づいた
トト兄ちゃんの役目も済んだし
次はお前の番だよ。
お祝いの秋晴れも、めったに無い
空青く、数年ぶりに佐用姫伝説の、鏡山に行って見た。
山に登れば海広く
見上げれば、空広く
海も空も青々と
眼下に広がる、心洗われる雄大な景色
一昨日の日和の、晴れやかさだった。
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