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松浦佐用姫のこと

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海原の沖行く船を 帰れとか
領巾振らしけむ  松浦佐用姫

万葉の歌人 山上憶良」

佐用姫の恋物語

時は537年 今から1480年前の出来事
大和朝廷の命を受けて 朝鮮半島の任那・百済救援の途中 この地に留まっていた
若き将軍・大伴狭手彦は 長者の娘 佐用姫と恋に落ちて 夫婦の契りを交わした

なぜに朝鮮半島まで・・
半島の南部の任那は日本府の統冶機関
百済とともに新羅に侵略されて 
その救済のために この渡海地にやって来たのです
このことは「日本書紀」に記されて
史実の事実です



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ついに 別れの時が来た
佐用姫は山に登り 狭手彦率いる軍船に向かい
領巾(ひれ)を振り続けます
この山を「領巾振山」と言い 今の鏡山です
当時は この山の麓まで海で 
この麓から船出したと思われます
現に言い伝えの「船繋石」が存在します

遠のく軍船に 恋焦がれる佐用姫は
今の呼子の地までたどり着き 加部島の「天童岳」に登り
姿なき軍船に 泣き伏して石となったと・・例えでしょう
田島神社境内の 佐與姫神社の「望夫石」です



では ここが佐用姫の終焉の地なのだろうか?
推理ですが 心情的には
呼子まで来た姫は 小船で更に海原を追った 
そして急変した天候で 命果てて
伊万里の浦の崎に流れついた
土地の人々は 亡き高貴な姿の女性を見て
弔い 葬った「塚を築き神社」を建てた
後に佐用姫(佐代姫)と判明して名をつけた
現・伊万里松浦病院の敷地内の
古来より存在する「佐代姫神社」で
今でも 毎年祭祀が執り行われています

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      佐代姫神社

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      葬った塚です


帰国した狭手彦は・・次回に
 

by takasago1699 | 2018-01-23 15:12 | 散策 | Comments(0)