2010年 03月 02日
二十六聖人殉教地
二十六聖人のことは知ってはいたものの詳しいことは知らなかった。幾つかのHPを見てある程度の事を知る、初代唐津藩主、寺沢広高が長崎奉行所を兼任していた事も知らなかった。大坂から長崎までの道程が1000kmとも記載されている、厳冬の中苦難の道程であった。
唐津を発ち2月4日時津に着いた一行はそのまま船中で夜を明かし2月5日に12km先の西坂の丘に着きすぐに十字架にかけられた。唐津藩主、寺沢公は朝鮮に出兵中で留守、留守を預る寺沢公の弟寺沢半三郎は12歳(今の年齢の数えでは10歳らしい)の幼い少年ルドビコ茨城を助けるために信仰を捨てるようにと説得するが少年の意志は強く、槍で両脇を突かれ26名はこの丘で殉教した。中央の少年、向かって右が12歳のルドビコ茨城、左が13歳のアントニオ少年
この場所は長崎駅に近い丘にあります。
by takasago1699
| 2010-03-02 16:54
| 散策
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